福島県の「裏磐梯」と呼ばれる地域(以前紹介した、愛子さまご誕生記念の桜がある地域)には、
桧原湖(ひばらこ)や

五色沼(ごしきぬま)といった景勝地があります。

雄大な自然の光景を見ると、太古から不変のものと感じがちですが、実はこれらの湖沼は1888年(明治21年)の磐梯山大噴火で河川がせき止められて出来たもの。
大日本帝国憲法の発布や旧皇室典範の制定が1889年(明治22年)。井上毅が「男を尊び女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」と「謹具意見」に書いたのが1886年(明治19年)頃らしいので、ちょうどそれらと同じ時期に出来た事になります。昭和末期〜平成初頭あたりまでは、これらの湖沼ができる前の景色を知っている人が生き残っていたはずですね。
悠久の存在に見える自然の光景でさえ、そのタイムスパンで見れば「つい最近できた」存在な場合もあるという好例と言えるでしょう。
大自然の光景ですら、常に変化と適応を繰り返す事そこが「本質」である中、制定当時にすら異論の多かった男尊女卑由来の「男系男子限定」という観念に、130年以上を経て齟齬が顕著になっている状況下ですら脳髄を支配され続けて固執するのは、あまりに愚かな行いです。
何かと自然災害の多い日本の地理条件と、「天皇」という存在は密接に関わりを持っており、眼前の表層を「不変のもの」と思い込んで固執するのは、日本の国柄がその軸に持っているしなやかさを大きく損なってしまいます。
しかも、その観念に一番強く脳髄を支配されているのが、国民一般ではなく、「永田町という狭い世間」である事はあまりに大きな「不幸」としか言えません。
「愛子天皇論3」の最終章を読むと、男系男子固執という観念が、伝統ではない、さして古いものですらないという事が、これ以上なく明瞭に理解できます。

「男を尊び女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国」というワードを甘んじて受け入れるのか?打ち払って行くのか?愛子天皇論3を通して、永田町世間にそれをどんどん問うて行きましょう。





















